【音楽と僕と #1】
春の風は、やはり少し冷たかった。
昨年4月に「光」という楽曲を制作してから、もうちょっとで1年が経つ。 この1年、何を感じて、何を思い、これからをどう生きるか。…なんて大それたことなど、実際そんなに考えてない。気がつけば1年が経った、そんな感覚。
平成が終わり、新しい時代が始まる。そんな時でも、日々は変化などしない。
俺にとって"音楽"を演奏するというのは、呼吸をするようなもので、ごく自然にそこにあって、空気が流れるように身体にまとわりつき、そしてそれを吸い込み、五臓六腑に渡り、腸を通り、便としてお尻の穴から出てくる。そういう意識がどこかにある。
音楽って自分自身を成形しているんだなと思うのです。
むしろ、音楽を生成しない人生ってなんなのだろう、と最近はわりと本気で思う。
演奏(ここでいうとピアノを弾いたりすること)が呼吸なのだから、止めたらくたばってしまうのか。命尽きてしまうのか。
たぶんそんなことはないでしょう。でも命を奪われてしまうのと同等なくらい、無気力で空虚な人生になってしまうんだろうな、と感じる。
売れようが売れまいが、「辞めます」と宣言しようがしまいが、死ぬまで曲を作り演奏し、消化し昇華する。それが組地ハルとしての生き様。
そこまで言ってしまって…。きっと大袈裟だろうけど、でも何も間違っていないよな。
ところで、カルチャーとしてポップスの分野で曲を書いたり歌ったりしているが、それはたぶん日記のようなもので、”自己表現”とか大仰に説明するにはまだ乏しい。
「今日こんなことがあった」とか「これが美味しかった」とか、「腹が立った」とか「君が好きだ」とか。わざわざ口にする必要のないことも、歌なら歌えるし耳に入れても心地よい。
今回、なぜ急に自分の言葉で音楽の話をしようと思ったかというと、新しいアルバムを作ろうとしているからだ。
前作「A.I」をリリースしてからちょうど1年が経った。「光」を制作する少し前。それから、色々あった。出会いもあり、別れもあった。
1週間という7日間で、うち5日はルーチンワークが続く。社会人でも学生でもフリーランスでも、きっとルーティンは変わらない。
ミュージシャンもそれに当てはまるし、練習や鍛錬は常にしていかないといけないから、気が抜ける日なんて1日もない。
そういう、格好がついて都合の良いことを盾にして、毎日を過ごす。
振り返った時に初めて、エモーショナルな気持ちになったりするもんだ。
「晴天を俟って走れ」という新曲が完成したとき、これは昨年末の話だが、今回制作しようとしているアルバムの完成予想図が浮かび上がった。
現実的な話なるけど、アルバムを作るにはお金がかかるし、もちろんプロモーションも必要だし、買っていただけないと、首を吊る羽目になりかねない。
その価値が、果たしてあるか。
俺がアルバムを作る目的って、なんなのだろう。
それはまた次回に。そして影響された音楽家のお話も少し。
To be continued…
*写真は特に関係ありません。
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